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パシフィックニュース

その人の明日を思う

義肢

その人の明日を思う

英語教師から義肢装具士へ、そして再び教育現場へー後編

狩野綾子

2026-07-01

義肢装具士として現場に立ち続けた24年。
その歩みは、単なる経験の積み重ねではなく、患者さん一人ひとりの人生に寄り添い続けてきた時間でもありました。
 
女性PO(義肢装具士)として向き合ってきた葛藤や工夫、当事者家族として見つめてきた視点、そして出会ってきた数えきれないほどの患者さんとの関わり——そのすべてが、狩野さんの仕事観を形づくっています。
 
後編では、そうした24年間の歩みをひもときながら、その根底にある想いに迫ります。
そして4月から始まる新たな章へ——これからの歩みについても、お話を伺いました。

 


 
プロフィール

狩野 綾子さま
1970年生まれ。福岡県宮若市(当時の
鞍手郡若宮町|くらてぐんわかみやまち)の農家に生まれ、山と田んぼの中で育つ。
25歳で幼馴染みと結婚。同市内のさらに山奥のお寺で家族と猫二匹、たくさんの鹿たちと暮らしている。

【ご略歴】
1993年3月|西南学院大学文学部英文学科 卒業

1994年4月-1998年3月|直方市立直方第三中学校(教育現場での第一歩)
1999年4月-2002年3月|神戸医療福祉専門学校三田校(義肢装具士資格取得)
2002年4月-2026年3月|株式会社有薗製作所(24年間にわたる義肢装具士としてのキャリア)
2026年4月~ | 宮若市立宮若西中学校(培った経験を教育現場へ還元)

30歳を過ぎて新米POとして歩み始める


2002年4月、兵庫県三田市から福岡に戻り、有薗製作所に入社しました。夫はすでに住職として寺を切り盛りしていて、私はPOとして現場に立つ。それぞれの仕事が始まりました。
 
教師出身だということは、入社後すぐに知れ渡り「あの人はできる人らしい」という目で見られているのが、わかりました。実際にはまだ何もできないのに、できる人として見られている。病院でも、話し方が新卒とは違うからか、経験者だと思われて話を進められてしまう。
 
そんな新人時代は家に帰ってから、必死に勉強しました。現場では「できるふり」をしながら、想像されているレベルに追いつこうと、毎晩勉強を続けました。今思えばそれが、成長につながったと思います。
 
当時、女性のPOはまだ珍しい存在でした。営業に行くと、お客さまに「あんたが作ると?」と不安がられることもありました。でも、対応を重ねるうちに信頼していただけるようになる。それは毎回のことでしたから、あまり気にしないようにしていました。北九州は言葉遣いが荒く、職人の世界特有の雰囲気もありましたが、私の性格もあって、そんなに怖いとは思わずにやってこれたと思っています。

女性POならではの強み

女性POには、やはり"女性ならでは"の強みがあります。特に子どもや高齢の方は、雰囲気が柔らかい女性の方が心を開いてくれやすい。私は義足の専門でしたから、人生でいちばんと言ってもいいくらい辛い時期にいらっしゃる患者さんのお話をじっくり聞いて、寄り添いながら仕事をすることが多かったのですが、そういう場面でも女性は向いていると思います。
 
女性の義足ユーザーさんが「女性POがいるところを探してきた」といらっしゃることもありました。特に大腿義足や股義足の女性の方には、男性POには話しにくい体の悩みを、安心して話してもらえたと思います。
 
女性義足ユーザー特有の悩みも、たくさん学ばせていただきました。出産後に断端がむくんで義足が履けなくなったり、赤ちゃんが泣いていても抱っこして立ち上がれなかったりすることがあります。更年期になり1日のなかで足の太さが大きく変化して、ソケットを合わせるのが難しくなる方もいます。生理時の経血汚れやナプキンのこすれなどに配慮した、ソケットの素材や形状も提案してきました。そういった細かなことを、女性POだからこそ本人やご家族と率直に話せる場面が、確かにありました。

仕事を続けられたのは家族のおかげ

私には子どもが2人いますが、1人目を出産したときは、就職して1年未満だったため会社規定で育児休業が取れませんでした。産休を終えてすぐに職場復帰ができたのは、同居していた義母が家のことも子育ても、なんでも引き受けてくれたからです。夫も家事は一通りこなせて、私のお弁当まで詰めてくれます。2人目のときは1年間の育児休業を取ってから現場に戻りました。私はただ、前だけを見て仕事をすることができました。
 
仕事と家庭の両立で苦労した記憶が、正直あまりないのは私が恵まれていたからに他なりません。義母の存在、夫の協力がなければ、24年間現場に立ち続けることはできなかったと思います。女性がPOとしてキャリアを続けていくには、職場の理解だけでなく、家族のサポートがどれだけあるかが大きく左右すると、自分の経験を通じて感じています。

生活者として、患者さんの暮らしを想像する


 
義足ユーザーの家族として暮らしてきたことは、POとしての自分に大きな影響を与えています。義足をどのタイミングで外すのか。帰宅してすぐか、お風呂の前か。外したあとは松葉杖か、車椅子か、キャスター付きの椅子か。義足の使い方、付き合い方はひとりひとりまったく違います。
 
夫は「義足は眼鏡と同じだ」と言ってくれています。朝起きたら着けて、寝る前には外す。それだけのことだ、と。

POとしては、ユーザーさんになるべく義足のことを意識せずに生活してもらえるのが理想です。そういう義足を作りたいと、ずっと思ってきました。作って納めることがゴールではありません。納品してから、ユーザーさんの生活が始まるのです。作った義足を自分の足として使いながら生活される。その先の姿をどれだけ具体的に想像できるかが、POの仕事の深さだと思っています。

忘れられない、ひとりひとり

24年間で出会った患者さんは、全員が印象に残っています。なかでも生まれた時から関わってきたお子さんたちは、大人になるまでの段階でずっとそばにいるため、もう我が子のように感じています。
 
ある股義足の女の子がいます。バレーボール部で回転レシーブをしているよ、なんて話を聞くたびに、お母さんと動画を共有して一喜一憂しましたね。最近では、夫がやっているパラクライミングに一緒に挑戦してくれました。みんなに「がんばれ」と声をかけられながら壁を登っていく姿を見ると、涙が出てきます。その子は今、看護学校に通っていますが「エピソードトークなら誰にも負けない。どこでも採用してもらえる自信がある」と笑って話してくれます。そんな言葉を聞くと、この仕事をしていて本当によかったと思います。
 
新規に切断された患者さんを担当するとき、夫に協力してもらうこともありました。足を失うことは、人生で最大級の危機です。安心してもらうために具体的に説明しても、不安が拭えないこともあります。そこで夫に来てもらい、義足で歩く姿を目の前で見せて、直接話をしてもらうと、患者さんの目がぱっと開けるんです。その後のリハビリの進み方が、目に見えて変わります。ロールモデルの力を、何度も目の当たりにしてきました。


<取材の後に見せていただいた一通のお手紙>
事故で下腿を切断されたのですが、若い方で、なんとか明るい未来を思い描くことができるように、一生懸命リハの伴走をさせていただきました。(狩野さんより)
狩野さんが最後に義足を作った新規切断者の方から感謝の気持ちと、力強いメッセージが綴られていました。
※お手紙の掲載については、患者さんご本人のご了承をいただいています。

管理職になって、気づいたこと

経験を重ねるうちに、管理職という役割が加わりました。現場が好きでしたから、最初は正直、患者さんから離れることへの葛藤もありました。でも、若いスタッフと接するうちに気持ちが切り替わっていきました。今の若いPOたちは、みんなとても優秀ですが、目の前の患者さんを一人で背負い込もうと頑張りすぎて、しんどくなる方が少なくありません。
 
でも患者さんは、担当が経験の浅いPOだとちゃんとわかっていらっしゃいます。そこで、「できるふりをして患者さんから逃げるのではなく、必死に考えて、やれることを一生懸命やれば大丈夫だよ」と伝えて、若いPOたちを支えるのも大切な仕事だと思えるようになりました。
 
教師1年目の私を親のように支えてくれた先輩、上司の姿は、POになってからも、ずっと自分の中に生きていました。長い目で見てくれる人がいたということが、どれだけ心強いか。管理職になって、ようやくその意味がわかりました。今も前向きで楽しそうな恩師たちは、私のモデルです。
 
POの離職率が高いことは、業界全体の課題です。せっかく選んだ仕事を、やりがいを感じる前に辞めてしまう人がいるのは、本当にもったいない。辛い時期をうまくやり過ごせれば、この仕事の深さや面白さが見えてくる瞬間が必ず来ます。その瞬間まで、なんとかそばにいてあげられる存在でありたいと、管理職として思い続けてきました。
 
一時的に義肢装具の業界を離れてしまう人がいたとしても、この仕事で誰かに支えられた経験は、その人の中に必ず残ると思っています。別の仕事に就いたとしても、いつかこんな上司がいたなと思い出してもらえたなら、それで十分です。人を支えるということは、そういう長い時間の中で実を結ぶものだと、私は思っています。


 

4月から、また教壇へ

POは天職だと思っていました。できれば、ずっと続けたかった。しかし、家族の環境が変わってきてしまいました。同居する夫の母も、実家の両親も高齢になり、お寺のことも家のことも、近くにいて対応する場面が増えてきます。会社は北九州市にあり、山の方に住む私には通勤も楽ではありません。まだこの先も何十年と仕事ができるならば、家の近くで腰を落ち着けて働ける環境を、少し早めに整えようと思いました。
 
4月から、中学校の常勤講師として働き始めます。教師という仕事は、定年後も非常勤として続けられます。長い目で見て、今がそのタイミングだと判断しました。
 
不思議なもので、私の性格なのか、もう気持ちは次に向いています。新しい環境はきっと大変になるでしょう。でも、新しいことに取り組む時って、なんだかわくわくするんですよね。


 

若いPOの方へ

POは本当にいい仕事だと思いますが、目指す人は減ってきています。患者さんから感謝され、やればやるほどやりがいが深まる。そんな仕事は、なかなかありません。
 
辛いこと、きついことは必ずあります。でも、それを必ずしも正面から乗り越えなくていいんです。力まずやり過ごせれば、大抵のことは後になれば笑えるくらいのことになります。ただ、そのためには自分が元気でいることが大切です。体や心が辛くなると、笑えなくなってやり過ごすこともできなくなります。無理をしすぎず、自分の体を大切にしてほしいと思います。
 
そして、作って納めることがゴールではないということを、どうか忘れないでほしいのです。自分が作った義肢装具を、毎日使って生活している人がいる。その先を想像しながら仕事ができるようになったとき、きっとひとつ上のPOになれると思います。
 
私の人生は、紆余曲折でした。あっちへ行ったりこっちへ来たり。でも振り返れば、どの道もつながっていました。若い方には、あまり先のことを思い悩まずに、今いる場所で一生懸命やってみてほしいと思います。きっと、後になってわかることがあります。

後編・あとがき

「作って納めることがゴールではない」という狩野さんの言葉は、義肢装具士だけに向けられたものではないと感じました。仕事とは届けた先に始まるものだという言葉は、どんな職種にも通じる本質であり、24年間の現場から絞り出された言葉だと思います。4月から新たな場所で教壇に立つ狩野さんは、インタビューの間中、過去ではなく前を向いていました。紆余曲折の先に、また新しい道が続いています。
 
本取材にあたり、ご理解とご協力を賜りました有薗製作所さま、有薗央社長さまをはじめ関係者の皆さまに心より御礼申し上げます。
 
取材・文/パシフィックニュース編集部

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