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震災特集13

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震災後10ヶ月以降の石巻からの報告

一般社団法人りぷらす face to face東日本大震災リハネットワーク 作業療法士 小山和良

2014/9/1

東日本大震災ボランティア活動記録「リハビリ専門職たちの手記」がface to face(東日本大震災リハネットワーク)から届きました。2011~2013年の活動記録です。
震災後、生活の拠点を被災地に移した理学療法士、作業療法士。リハビリとは何か、自分に何が出来るのか、迷いながらも被災地に向き合う崇高な姿がここにはありました。今回は、その記録の中から震災後10ヶ月以降に被災地に入られ石巻市に移住した若き作業療法士の手記を掲載させていただきます。

10ヶ月後の石巻

私が石巻にはじめて訪往したのは2011.12.17でした。そのころは、まだまだ大変な道や建物や街並みがあるのではないかと漠然と思っていたと思います。しかし、石巻駅に到着した朝は静かで、石巻に何が起きたのかほとんど分からない状況でした。石巻といっても6市町村が合併した市のため、555.4kmもあり、地域によって全然状況が違うことを知るのは後のことでした。
石巻市内の避難所に生活されていた方の居住場所は、仮設住宅かみなし仮設か元の家か他の家族や親せきのところへとそれぞれが移っていました。

 

作業療法士・小山和良さん

仮設住宅という居住空間

仮設住宅をはじめて訪れた時、なんとも言えない衝撃を受けました。同じ建物が整然と並んでおり、ほとんどの場所が色のない建物でした。その感覚は、仮設住宅の中に上がらせていただいたときも続きました。同じ家電に同じような間取り。今までのその方その方の生活が見えにくいことに戸惑いも感じました。このような、同じように見える団地が石巻市内に129団地あったのです。

そして、棟と棟の間は狭く、駐車場はほとんどの団地が敷地の一角に作られ、庭と呼べるようなものはありません。集会場はほとんどの仮設住宅にありましたが、ないところもありました。

 

仮設住宅・石巻市内

その人の生活と仮設住宅

私が仕事でクライアントに会ったとき、その方の生活の背景を少しずつ知ったり感じることを無意識に行っています。例えば、どんな服を着ているのか・何色の持ち物が多いのか・食べ物は何が好きなのか・趣味や仕事で好きなことは何なのかということを知ろうとします。それは他のセラピストや保健・福祉・医療関係者も行っていることと思います。仮設住宅には、そのための情報がとても少なかったのです。仮設住宅に訪れた時の衝撃は、震災によってその方の生活の足跡が消えてしまったことを目の当たりにしたからだと、だんだん認識していきました。同じような生活空間に加え、生活の周りにあるものは支給された家電や、物資でもらった服や小物の場合が多々ありました。もちろん物資の中からその方が選んでいますが、それには限りがありました。

また、石巻地域の方はもともと何部屋もあるような家に住み、庭もあり、近くに畑がある方も多かったのです。そしてお茶っこに行くこと(知り合いの家に言っておしゃべりしながらお茶を飲むこと)・来られることが日常的に頻繁に行われていたのです。それが石巻の方の生活でした。

趣味との関わり

face to face主催のリハビリ相談会(身体に関わる相談や運動の機会提供)を通し、会話やアンケートによりその方の趣味を知り、いくつかその趣味に関わらせていただきました。
ある地域では、「手芸がやりたい」との意見があがり簡単な人形福幸だるまつくりを行いました。そこでは4名の参加でした。作業を進めながら「久しぶりにやるわ」「前は生地もいっぱいあったけど全部流されちゃったからね」「孫にあげたい」などとの声が聞かれました。作業は手慣れた手つきでどんどん縫われていました。作業中には「(震災後)がんばれって言われるけど、何をがんばればいいのか分からないし、もう言われたくない」との声も聞かれました。作業はただその工程が進むだけではなく、その過程で無意識に心の整理もしています。だからこその前述の言葉だったのだと思います。

ある方は、ミシンを使っての縫い物が得意でそれを仕事にもしていました。震災でミシンも失いましたが、再度購入されていました。「お金もないのに、どうしても欲しかったからこれは自分で買ったの。」と嬉しそうに誇らしそうに教えてくださいました。また、ミシン仕事時代の話を楽しそうにしてくださいました。その時ちょうど私は欲しいサイズの袋があったので早速相談をしてみると、「その大きさならこれくらいでつくればいいね」と採寸してくださりました。次に会ったときは「この前○○で生地を買ってきたの、いいよね。ここにマジックテープつけてね。」と。

その次の時には「出来たよ。これでいい?」と欲しいと言った数より多くの袋を差し出して下さいました。頼られること・仕事があることは、その方を生き生きさせ・次々と動きが生まれるのだと再認識しました。

 

福幸だるま

生活環境への関わり

団地の中には、もとの居住地域とは異なる方が多い団地もありました。そこでは外に出ている方の割合も減ります。それは団地内に知り合いが少ないこと・その土地が分からないこと・それらによって出る気にならないことなどがあげられます。ある団地では、仮設に移って6ヵ月以上経っても、団地の周辺がよく分からない方もいらっしゃいました。そのために散歩もしていないとのことでした。

そこで、その団地にて散歩会を6ヵ月間・月1回のペースで、毎回30分~60分の散歩を行いました。団地の方々が積極的に関わりやすくなること・自主グループに移行しやすいよう経過が分かることを目的に、まずは団地の方と知っている周りの状況を出し合って地図作りからはじめました。散歩前後には血圧測定・体調確認・整理体操を行いました。散歩中には「あれは○○の木だね」「こんなところに神社があったんだね」と懐かしそうに見ていたり、周りを楽しんだりしている様子でした。また、「最初はとかとかしてたけど(動悸がしてた)けどだんだん落ち着いた」「普段は15分も歩けないけど歩けたね」とからだの調子に気づく方もいらっしゃいました。6ヶ月の中では、季節の移り変わりを楽しんだり、いくつかの散歩コースを回ったり、散歩習慣が再開した方もいらっしゃいました。

団地での散歩会

いままでとこれからと

自分に何が出来るのか、そもそも何か出来るのか石巻に来てから何度も自問自答してきました。もちろん何か出来ればいいのですが、それを求められていないときに行うのではその方の生活には変化がないことを何度も経験してきました。

ですが、何か求めているときに関われること・何度も繰り返し関わっているからこそ必要になっていくこともあると経験しました。そのために、会話をしていくこと・何度も会うことでその方を知っていくことの大切さを感じています。震災から2年7ヶ月が経過していますが、それ以前の生活に近い状態になっている方ばかりではありません。石巻市は住宅や福祉・医療の整備もまだまだ不透明な部分も多い状況です。その中で、いままでの関係を大切にし、新たな出会いもしながら、時には“おせっかいな人”になりリハビリというツールも使いつつ、心身の健康に関わっていくことが出来ればと思います。

「リハビリ専門職たちの手記」東日本大震災ボランティア活動記録

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