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下腿義足、今日も教壇に立ってます

義肢

下腿義足、今日も教壇に立ってます

下腿義足、今日も教壇に立ってます

高木庸子(京都府・高校教諭)

2018-10-01

女性らしくしなやか、凛として力強く。自分が自分であるために、何度転んでも起き上がります!好きな靴をはいて。

まさか!?風邪もひかない私が…?

子どもの頃、大人になったら小学校の先生になりたいと言っていました。勉強が好きだったわけではなく「なんだか楽しそうだ」という、今思えばかなり能天気な理由でした。
願い(?)叶い高校の教師になりましたが、相手はなかなか手ごわい高校生。個性あふれる彼らとの毎日は、まるでジェットコースターかアドベンチャーワールドか。でも「なんだか楽しそうだ」はある意味、はずれていませんでした。
 
そんな日々を過ごしていた私が、義足になったのは今から4年前。教師となり23年が経っていました。
病名は「悪性軟部肉腫」。切断は避けられませんでした。

うちらが先生を受け止める!

がんと切断。あたりまえの毎日も、疑いもしなかった明日も全てが一瞬で崩れ落ちていきました。もう教壇には立てないかもしれない…。何もかもが指の間からこぼれ落ちていく感じでした。
病気のことも切断のことも、卒業生や生徒たちにはどうしても言えませんでした。自分の恐怖だけで足がすくみ、押しつぶされそうになる。まして、彼らが受けてしまうだろう衝撃まで受け止める自信が私にはありませんでした。
 
そんな私に、共に悩み共に過ごしてきた一人の後輩教師から、ある夜、長い長いメールが届きました。
 
「生徒たちに伝えてはだめですか?このまま知らなかったら、あの子たちきっと悲しむと思います。
 あの子たちがいたから僕たちは一緒に戦ってこれたんだと思うんです」
 
彼の思いと苦しみが痛いほど伝わってきました。それでも私は応えることができませんでした。「私はそこまで強くないんです」そう返信しました。
 
悩み抜いた彼が、卒業生たちにすべてを伝えたことを知ったのは手術の5日前のことでした。自分の足で出かけるのはもうこれが最後だろうなあと、私は彼と共に卒業生の一人が開いた個展に向かいました。そこには、話を聞いた卒業生たちが集まっていました。
 
「大丈夫!先生がしてくれたように、今度はうちらが先生を受け止めるから。」
 
強くなくちゃいけない、悲しませてはいけない、受け止めなければいけない。いつの間にか私はそんな風に思い込んでいました。人は人に支えられているということに、私は改めて、いえ、もしかしたら初めてちゃんと気づいたのかもしれません。彼らは最後にこう付け加えました。
「でも、白旗は用意しておりませんので。よろしく!」
 
行けるところではなく、行きたいところへ行こう!生徒たちにいつも言っていた言葉です。だからこそ私があきらめるわけにはいかなかった。

私の行きたいところ、それは学校でした。

お!いい脚してるね~!

切断後、抗がん剤治療を終えようやく製作途中の仮義足でのリハビリが始まりました。
コツさえつかめば楽勝!とタカをくくっていたのも束の間。歩くのってこんなに大変だったのか…。

「まったく歩ける気がしなくなってきた…」泣きごとをこぼす私に、「義足で歩けない人なんて見たことないわ」と理学療法士の先生はいつもカラカラと笑っていました。
どんどん変化していく断端を前に、
「お!彼女、いい脚してるねー」
「ほんとっすね!いい義足がつくれますよ」

理学療法士の先生と義肢装具士(川村義肢株式会社)の担当者は、落ち込む私をいつも笑い飛ばしてくれました。

私が義足に何を求めるのかを、川村義肢の担当者は何度も何度も聞いてくれました。私がどうしても欲しかった足、それは今までと同じように好きな靴がはける足でした。
私は迷わず、踵の高さが調節できる「イレーション」を選びました。

できないことはできないけど、できることはできる

義足になって、できなくなったことはもちろんあります。でも、できることまであきらめてしまうのはどうしても悔しかった。足を失ったからといって自分らしさが失われるわけではありません。私にとって、好きな服を着て、好きな靴を履くことは、自分らしくあるためにあきらめたくないことの一つでした。
 
仮義足ができて1か月、冬が終わる頃、主治医に尋ねてみました。
「4月から学校に復帰するつもりです、その頃身体はどんな状態ですか?」
「もう歩けてますよ。でも杖は必要ですね」
「それはいやです」
「…」

 大切な足を一本失った。このままではあまりにも悔しい。どうせなら今まで履いたことないくらいかっこいい靴を義足で履こう!

私は『ルイ・ヴィトン』へ向かいました。

ヴィトンのヒール。それは私にとって、値段以上の価値のある靴でした。4月1日、私は杖を持たずに学校の正面階段を上りました。


※画像はルイ・ヴィトン社の掲載承諾を得ております。
 

人生において切断は衝撃的です。「もう何もかも終わった。もう元の自分じゃない…」と感じてしまう。でも下肢義足は、自分でできることがほとんど残っています。切断の衝撃で自分らしい人生まであきらめてしまう必要はどこにもありません。たった足一本、私の人生はそれよりずっと重いのです。

仲間はどこに?女性がいない!

義足でも自分らしく生きる人たち、力強く輝く女性に会いたかった。ところが、義足の人に出会うチャンスはほとんどありませんでした。義足での生活が始まれば、もうリハビリなどで病院に行くこともありません。些細なことを聞く相手もいない。義足生活の相談ができるのは義肢装具士さんだけで年に1~2回あるかないかです。義足ユーザーのコミュニティを探してみましたが、あるのは走ることでつながるコミュニティばかり。それさえ関西にはほとんどありません。 
 
—義足であきらめたくないこと=走ることだけ? 走らなあかんの?ー
 
そんな時に、義肢装具士さんから誘われたのが、イベント『義足でやってみよう!』でした。
きっと、義足の女性たちにも会えるはず!喜んで出かけました。ところが女性がいない。その後、何度か参加してもやはりほとんど女性がいない。なぜだろう。

スタッフの女性に聞いてみました。そこではじめて、女性ユーザーの多くが外に出なくなってしまうことを知りました。もう外には出たくない、人には会いたくない、見られたくない…。体の一部を失うことで、自分らしさも女性としてのアイデンティティも失ってしまったような喪失感。それは、切断を前に私が感じていたものそのものでした。

「『義足でやってみよう!』で何かやってみたいことは?」義肢装具士さんにそう聞かれ、私は「義足女子会がしたいです!」と答えました。

義足女子コミュニティ『ハイヒール・フラミンゴ』誕生

初めての義足女子会が開催されたのはそれからしばらくしてからでした。川村義肢の会議室の扉を開けた瞬間、私たちの目には想像もしていなかった光景が飛び込んできました。壁もテーブルもデコレーションされたホームパーティーのような空間。見ているだけで幸せな気持ちになる色とりどりのランチとスイーツ。暖かく心地いい空気。そしてスタッフの皆さんの笑顔。いったいどれほどの思いで用意してくださったんだろう。


 
私たちは、多くの人に支えられている幸せを、たぶん人よりも強く感じることができると思っています。それでも、埋められない隙間のようなものが心の隅にあるのです。それは「共感」です。慰め合うこととも励まし合うこととも少し違う、ただ同じ思いを感じるということ。それが、私たちが欲しかったものかもしれません。この出会いは私たちの心をゆっくりと、でも確実に満たしていきました。

同じ思いをしている人は必ずいるはずです。今、孤独とあきらめの中にいる人に少しでも何かを届けられるかもしれない。つながりが見えれば、きっと前に進めます。

おそらく日本で初めてとなる女性義足ユーザーのコミュニティはこうして誕生しました。スタッフもユーザーも一緒に、女子会メンバー全員で考えたその名前は『ハイヒール・フラミンゴ』。自分らしく生きる女性の象徴「ハイヒール」、そして片足で凛と立つ「フラミンゴ」。つながりながら力強く、そしてしなやかに。そんな「なんだか楽しそうな」明日が今、私たちには見えています。



 

今日も教壇に立ってます!

足は失いました。でも、比べることができないくらい多くのものを私は手に入れました。きっと義足になる前よりずっとずっと強くなっているはずです。
 
階段で私の横を通り過ぎた生徒が振り向いて言いました。
「先生、おんぶしたげよか?」
 

私は今日もアドベンチャーワールドに立っています。